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『冬の灯りに、ふたりの影』第1章「暖炉の部屋で」

図書館のドアを開けると、冷たい空気が背中を押し戻してくるようだった。 吐く息は白く、玄関のガラスには冬の結晶が小さく広がっている。 森田健一は、手袋を外してストーブの前へと向かった。 図書館の職員用休憩室にあるその小さな電気暖炉は、静かに赤...
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『ゆっくり咲く花もある』第5章「ゆっくり咲く花もある」

七月のはじめ。 夏の日差しが少しずつ強まり、図書館の庭ではアジサイの色が徐々に褪せ始めていた。 森田健一は、いつものベンチに座っていた。今日は少し早めに来た。 腕時計を見るふりをしながら、ゆっくりと呼吸を整える。 しばらくして、やわらかな足...
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『ゆっくり咲く花もある』第4章「花が咲く日を待ちながら」

六月の終わり、図書館の庭にはアジサイが咲きそろい、小さな虫たちがその間を飛び交っていた。 曇り空でも蒸し暑く、梅雨らしい湿気が肌にまとわりつく午後。森田健一は、いつものベンチに座っていた。 その隣に、今日は先に久美子がいた。 「こんにちは、...
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『ゆっくり咲く花もある』第3章「庭のベンチと、読みかけのページ」

図書館の中庭にある古いベンチは、座るとほんの少し軋む音がする。 その音を「不便」と取るか、「味わい」と取るかで、居心地のよさはずいぶん違うのかもしれない。 森田健一は、今日もそこにいた。 手には文庫本。ページをめくる指先が、風に揺れる葉の影...
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『ゆっくり咲く花もある』第2章「本棚のすき間、風のにおい」

その日、森田健一は少しだけ早めに図書館に着いた。 梅雨入り前の貴重な晴れ間。空気はやわらかく、歩道の脇ではツツジが陽に照らされて赤々と咲いていた。 入口にある掲示板には「図書ボランティア募集」の紙が新しく貼られていた。その端に、見覚えのある...
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『ゆっくり咲く花もある』第1章「図書館の窓辺で」

春の終わりを思わせる陽射しが、図書館の窓辺をやさしく撫でていた。 森田健一、六十八歳。かつては建設会社の現場監督として忙しく働いていたが、三年前に退職し、いまは近所の市立図書館に通うのが日課になっている。 午前十時きっかりに開館するこの図書...
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『夏の音、もう一度』第5章「夏の終わり、ふたりの答え」

蝉の声が少しだけ遠のいたある日。 町の空気は、夏の終わりを告げるように柔らかく、涼やかだった。 「誠一さん、これで三回目の“出勤”ね」 「出勤なんて言うと、緊張しちゃうよ」 ふたりは笑い合いながら、商店街の八百屋から戻ってきた。 エコバッグ...
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『夏の音、もう一度』第4章「名前を呼ぶ距離」

八月も終わりに近づいたある日。 石川誠一は、澄子の店「風椅子」に、ひとつの小さな包みを持って現れた。 「はい、これ。ちょっとした贈り物」 「……え、なに?」 「まぁ、開けてみてよ」 澄子は包みを開き、中から出てきたのは淡いベージュ色のストー...
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『夏の音、もう一度』第3章「ゆれる午後とふたりの時間」

午後三時、店の扉に「準備中」の札がかけられる。 いつもより静かな日曜日、沢田澄子は店の中にある小さな時計を見ながら、奥の座敷に布団を干し、再び店内に戻った。 「今日も来てくれるかしらね」 そう呟いた直後、風鈴がやわらかく鳴った。 入口に立っ...
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『夏の音、もう一度』第2章「あの日の香り」

数日後、石川誠一は再び「風椅子」を訪れた。 その日は少し曇っていて、駅からの道にうっすらと湿り気が残っていたが、心は軽かった。 扉を開けると、店内は変わらず落ち着いた空気に包まれていた。カウンターには沢田澄子の姿。エプロン姿の彼女がふと顔を...