恋と暮らしの物語

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金木犀が香るころ、名前を呼ばれた

― 秋風に乗せて届いたのは、遠い日の約束。 その日、公園の入り口に立った瞬間、ふわりと懐かしい香りが鼻先をくすぐった。金木犀。甘くて、どこか切ない香り。それを嗅ぐと、決まって思い出す名前があった。そして、思い出す声があった。 ベンチに腰を下...
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影がふたつ重なるベンチで

― ただ黙って座る、それだけで心が通う時間。 夕方の公園は、少し肌寒かった。葉を揺らす風が季節の変わり目を告げていて、ベンチの背には斜めの影が伸びていた。 そのベンチの片側に、彼が腰を下ろす。座面の右端、いつもの定位置。 数分後、左端に彼女...
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白いシャツに風が通る日

― 風に誘われて歩いた午後が、ふたりの始まりに。 その日、風がよく通る午後だった。公園の木々はやさしく揺れ、ベンチに座る彼のシャツもふわりと膨らんだ。白いシャツは、少しだけくたびれていて、でも清潔だった。その胸ポケットには、小さな文庫本が差...
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駅前のパン屋と、焼きたての記憶

――変わりゆく町で変わらない気持ちを探す物語。 駅前に小さなパン屋がある。名前は「ル・ブラン」。フランス語で“白”という意味だと、昔、その店で働いていた彼女が教えてくれた。 今朝、久しぶりにそのパン屋の前を通った。小さな窓から漂う焼きたての...
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カセットテープに残した声

――忘れたはずの温もりが、再び再生される夜。 その夜、彼は古い木箱の中から、一本のカセットテープを見つけた。ラベルには、滲んだインクで書かれた名前――「陽子へ」。それは、もう何十年も前の、自分の字だった。 カセットの横には、ポータブルの小さ...
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縁側に置かれたふたつの湯呑み

――交わされなかった言葉が、午後の陽だまりに滲む。 陽だまりの縁側に、ふたつの湯呑みが置かれている。白い磁器に淡い青で描かれた椿の絵柄は、少し色あせていた。そのうちのひとつには、湯気がまだ立っていた。 「もう少し、早く気づけばよかったんです...
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古いラジカセと、まだ知らない歌

――若き日の記憶と、これからの時間が交差する音。 押し入れの奥にしまってあった、灰色のラジカセ。カセットの再生ボタンは少し固く、スピーカーの網にはうっすらと埃が積もっていた。それでも、電源を入れると、小さな「カチッ」という音とともに赤いラン...
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やかんが鳴る音を待ちながら

――静かなキッチンが、ふたりの距離を縮めていく。 コンロの上、やかんの中で水がゆっくりと温まっていく。しゅん、しゅん、とかすかな音を立てながら、湯気が立ちのぼる。その音だけが響く、小さなキッチン。 「この音、懐かしいですね」彼が言った。キッ...
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手紙のないポストに花を

――想いを伝えられなかった日々と、再会の午後。 古い集合ポストの前に、彼女は立ち尽くしていた。錆びた取っ手、うすく剥がれた部屋番号のシール。——それでも、あの頃と同じ場所に、同じようにそれはあった。もう二十年近くになる。この町を離れて、別の...
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ベランダの灯りと、ふたりの秘密

――夕暮れ時にだけ交わされる、小さな約束の物語。 「おかえりなさい。今日も、無事に。」午後五時。冬の夕暮れは早い。ベランダに面したマンションの一室、その窓辺には、今日もひとつのランプが灯っていた。 白い陶器のランプシェードは、母が使っていた...