会社倒産からの船出 第2章:日雇いと介護

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 三浦智也は、朝四時の薄暗い空気の中、自転車をこいでいた。向かうのは、郊外の工業団地にある倉庫。週三回の荷降ろしのアルバイトだ。

 時給は千百円。五時間勤務で、手取りは交通費を除いて四千円にも満たない。それでも、何もないよりはましだった。

 「おはようございます」

 同じアルバイト仲間たちは、ほとんどが若者か外国人労働者。元クリエイティブディレクターの肩書を語る相手はいなかった。いや、語る気力もなかった。

 終業後、コンビニで食パンと牛乳を買い、自宅に戻ると、父・徹と母・美智子の寝室を覗く。

 二人はともに七十代後半。最近になって、立て続けに体調を崩した。

 最初に倒れたのは父だった。軽い脳梗塞。幸い後遺症は軽く済んだが、リハビリと投薬は継続が必要となった。

 その矢先、今度は母が自宅で転倒し、大腿骨を骨折。入院と手術を経て、介護が不可欠になった。

 「認定調査員が来ますから、9時には在宅していてください」

 市の福祉課からそう連絡があり、介護認定の手続きが始まった。書類の山と、見慣れない専門用語に囲まれ、智也は目まぐるしい日々を送る。

 失業保険の申請も手探りだった。月々の給付額を見て、家計簿に電卓を叩いた。「これじゃ家賃と光熱費で消える……」

 日中は父の通院付き添い、夜は母の介助。深夜、ようやく眠れるかと思えば、ふとんに入っても思考が止まらなかった。

 ——なんで、こんなことになったんだろう。

 スマホを手に、求人アプリを開いても、条件に合う仕事はほとんど見つからない。クリエイティブ職に戻るには、空白期間と年齢が重すぎた。

 「今が一番、大変なときだから……」

 そう自分に言い聞かせるが、深夜の台所で洗い物をしながら、気がつけば独り言のように呟いていた。

 「自分の人生、何だったんだ……」

 ある晩、母が寝付いた後のリビングで、智也はふと押し入れを開けた。中には、かつての仕事の資料が段ボールに収められている。

 プレゼン用の企画書、雑誌広告のラフ、クライアントからの感謝メール……

 紙を一枚一枚めくるたびに、かつての自分が顔を出す。だが、今の生活には何の役にも立たなかった。

 「俺がやってきたことは、全部、消えたのか」

 そう呟いた声は、静かな部屋に吸い込まれた。

 だが、そのとき。ふと、机の上に置いてあった古いノートパソコンに視線が向いた。

 しばらく触っていなかったが、まだ動作はするはずだ。

 ——せめて、今の自分にできることを探そう。

 そう思いながら、智也は電源ボタンを押した。

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