三浦智也は、十年以上勤めた広告代理店のプレゼンルームにいた。照明が落とされ、ホワイトスクリーンにプロジェクターの光が投影される中、彼の声だけが静まり返った会議室に響いていた。
「……つまり、生活者目線の訴求が、いま求められている価値です。単なる商品の機能説明ではなく、顧客の“明日”にどれだけ寄り添えるか。そこが勝負の分かれ目になります」
十数枚のスライドと共に語り尽くしたプランは、彼のキャリアのすべてを凝縮したような内容だった。
沈黙。しばらくして、先方のマーケティング責任者が静かに拍手した。「ありがとうございました。非常に本質を突いた提案でした」
その言葉に、智也はようやく肩の力を抜いた。上司の坂井も満足そうにうなずいていた。
だが、その日の午後、社に戻った直後の会議室で、すべてが崩れ去った。
「……会社は、本日付で破産申請を行った。今後、すべての業務は停止となる」
役員の一人がそう告げた瞬間、空気が一変した。ざわめき、怒号、呆然。目の前の景色がにわかに歪む。
「ちょっと待ってくださいよ、さっきのプレゼンだって……」
「すまない、三浦くん。だが、坂井部長からは、すでに事情は聞いていたはずだが」
その言葉に、智也は耳を疑った。「え?」
坂井が目を逸らした。
「ああ、彼にはね……実は1週間前から話をしていた。プレゼンには最後の望みを託したんだ。だが、それも叶わなかった。申し訳ない」
言葉を失った。信じていた上司は、知っていた。彼が心血を注いだプレゼンが、すでに倒産が決まった会社の“最後のパフォーマンス”に過ぎなかったことを。
翌日から、智也は職を失った。引継ぎも、整理作業もなかった。解雇通知と、数ヶ月分の退職金、それだけだった。
帰り道、駅のホームでスマートフォンを開いた。求人サイトには「35歳以上歓迎」の文字が並んでいたが、クリックするとそれは「未経験可、月収18万円」の派遣業務ばかりだった。
広告業界の求人は壊滅的だった。かつて彼が取引していたクライアント企業の人間も、今は冷たくメールを返すか、あるいは無視すらされた。
数日後、元部下の一人から居酒屋で慰めの酒を飲んだ。
「智也さん、俺、あのとき部長に呼ばれてたんです。プレゼンには出るなって。でも、智也さんはやる気だったから……。すみません、止められなかった」
「……いや、お前が謝ることじゃない」
酔いの回った帰り道、夜の公園でベンチに腰かけた。
「俺の肩書、終わったな……」
口を突いて出た言葉が、夜気に吸い込まれていく。
再就職エージェントに登録し、何十社にもエントリーした。だが返ってくるのは、テンプレートの不採用メールばかりだった。
面接までこぎつけた企業では「ご年齢とスキルのギャップが……」とやんわり断られた。企業が求めるのは即戦力、しかも最新トレンドに対応できる20代、30代の若手だった。
智也は自室のパソコンを前に、何時間も画面を見つめたまま動けなかった。
かつて自分が創ってきたコピー、デザイン、キャンペーン。
それらの記憶が、今は過去の栄光としてしか残っていなかった。
次第に、朝目覚めるのが怖くなってきた。
今日が、昨日より価値のない一日になるような気がして。
ある朝、風呂場の鏡に映った自分の顔を見て、ぎょっとした。やつれ、髪も伸び、目の下には濃いクマがあった。
その瞬間、智也はようやく理解した。
——このままじゃ、心まで失業してしまう。
そうして彼は、まだ見ぬ“次”を模索し始める。
(第2章へ続く)
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