第七章「東京からの手紙」
春が過ぎ、初夏の匂いが町に漂いはじめたある日。 正吉の元に、一通の封書が届いた。差出人の欄には、見慣れた名前――息子・拓也の筆跡。
封を開ける前に、正吉はしばらく指先を止めていた。 息子が東京に転勤してから、月に一度ほどLINEでやりとりはしていたが、手紙が届いたのは初めてだった。
「お父さんへ」
手紙は、丁寧で、そして不器用な言葉で綴られていた。
お父さん、元気ですか。 この手紙を書くのに、何日もかかりました。 東京は相変わらずせわしなくて、駅も街も人だらけで、息が詰まりそうな毎日です。 でも最近、なんとなく心の支えになってるのが、“正吉印”のインスタ投稿です。
正吉は思わず噴き出した。 インスタ。息子も見てたのか。
正直、お父さんがAI使ってネットで商売してるって聞いたとき、信じられませんでした。 というか、最初は「どうせ続かないだろう」と思ってました。 すみません。
「ふふ……わかっとる。ワシもそう思ってたわ」
このあいだ、母さんの仏壇の前で、「もし今の正吉見たら、きっと笑うな」って思ったんです。 パソコンの前で一生懸命チャットしてる姿、母さんなら絶対写メ撮ってたなって。
正吉はふと、妻・貴美子のことを思い出した。 写真嫌いだったくせに、人のそういう瞬間だけは、妙に愛おしそうに撮っていた。
お父さん。 実は、今の会社を辞めようかと思っています。 仕事には不満はない。でも……何のために働いてるのか、わからなくなってきました。
その行に、正吉の手が止まった。
“誇り”ってなんですか? “正吉印”を見ていると、それがすごく伝わってくるんです。 お父さんが汗かいて、地元の職人さんと一緒になって、信頼を積み重ねて―― そんな働き方、東京じゃ見たことないです。
もしよかったら、いつか“正吉印”の仕事、少し手伝わせてもらえませんか?
手紙の最後の行で、正吉は目を閉じた。 何よりも重たいそのひと言に、胸の奥がじんと熱くなった。
父として、男として
その夜、正吉はチャットGPTにこう打ち込んだ。
「息子が“正吉印”を手伝いたいと言ってきた。正直、嬉しい。でも……迷っとる」
AIの答えは、静かだった。
「“家族だからこそ難しい”という気持ちも、“家族と一緒に歩みたい”という気持ちも、どちらも本物です」
チャットGPTが提案したのは、「仕事を通して、人生の価値観を共有すること」の大切さ。 「技術」や「知識」ではなく、「誇り」と「姿勢」が次世代に残せる一番の財産だと。
「せやな……教えるってことは、“渡す”ことやな」
正吉はつぶやいた。
返事を書く日
数日後、正吉は便箋を取り出し、慣れない万年筆で書き始めた。
拓也へ。 手紙、読んだ。驚いた。でもな、嬉しかった。涙が出るほどや。
ワシはまだまだ未熟や。でも、“ものを売る”ことが、いつの間にか“誰かの記憶を支える”ことになっとる。 正吉印っちゅうのは、ワシの名前やけど、ワシ一人で作ったもんやない。職人さん、陽太、AI……みんなの知恵と手でできとる。
そやから、拓也。 一緒にやろう。ただし、覚悟はいるぞ。ワシは甘ないで。 でも、どんなに怒鳴っても、それは“信用”の裏返しや。
お前が本気でやる気なら、ワシも本気で迎える。 家族としてやなく、“仕事仲間”としてな。
正吉は手紙を書き終えると、封をして、そっとポストに投函した。
空を見上げる朝
翌朝、正吉は久々に早朝の空を見上げた。 小さな雲がぽつぽつと浮かんでいて、その向こうに広がる青がまぶしい。
「おい、貴美子……聞いたか。拓也がな、手伝いたいってさ」
笑いながらそう話しかけると、どこからか風が吹いて、庭の木々がさわさわと揺れた。
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