65歳、AIとネット販売 第七章

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第七章「東京からの手紙」

春が過ぎ、初夏の匂いが町に漂いはじめたある日。
正吉の元に、一通の封書が届いた。差出人の欄には、見慣れた名前――息子・拓也の筆跡。

封を開ける前に、正吉はしばらく指先を止めていた。
息子が東京に転勤してから、月に一度ほどLINEでやりとりはしていたが、手紙が届いたのは初めてだった。

「お父さんへ」

手紙は、丁寧で、そして不器用な言葉で綴られていた。

お父さん、元気ですか。
この手紙を書くのに、何日もかかりました。
東京は相変わらずせわしなくて、駅も街も人だらけで、息が詰まりそうな毎日です。
でも最近、なんとなく心の支えになってるのが、“正吉印”のインスタ投稿です。

正吉は思わず噴き出した。
インスタ。息子も見てたのか。

正直、お父さんがAI使ってネットで商売してるって聞いたとき、信じられませんでした。
というか、最初は「どうせ続かないだろう」と思ってました。
すみません。

「ふふ……わかっとる。ワシもそう思ってたわ」

このあいだ、母さんの仏壇の前で、「もし今の正吉見たら、きっと笑うな」って思ったんです。
パソコンの前で一生懸命チャットしてる姿、母さんなら絶対写メ撮ってたなって。

正吉はふと、妻・貴美子のことを思い出した。
写真嫌いだったくせに、人のそういう瞬間だけは、妙に愛おしそうに撮っていた。

お父さん。
実は、今の会社を辞めようかと思っています。
仕事には不満はない。でも……何のために働いてるのか、わからなくなってきました。

その行に、正吉の手が止まった。

“誇り”ってなんですか?
“正吉印”を見ていると、それがすごく伝わってくるんです。
お父さんが汗かいて、地元の職人さんと一緒になって、信頼を積み重ねて――
そんな働き方、東京じゃ見たことないです。

もしよかったら、いつか“正吉印”の仕事、少し手伝わせてもらえませんか?

手紙の最後の行で、正吉は目を閉じた。
何よりも重たいそのひと言に、胸の奥がじんと熱くなった。

父として、男として

その夜、正吉はチャットGPTにこう打ち込んだ。

「息子が“正吉印”を手伝いたいと言ってきた。正直、嬉しい。でも……迷っとる」

AIの答えは、静かだった。

「“家族だからこそ難しい”という気持ちも、“家族と一緒に歩みたい”という気持ちも、どちらも本物です」

チャットGPTが提案したのは、「仕事を通して、人生の価値観を共有すること」の大切さ。
「技術」や「知識」ではなく、「誇り」と「姿勢」が次世代に残せる一番の財産だと。

「せやな……教えるってことは、“渡す”ことやな」

正吉はつぶやいた。

返事を書く日

数日後、正吉は便箋を取り出し、慣れない万年筆で書き始めた。

拓也へ。
手紙、読んだ。驚いた。でもな、嬉しかった。涙が出るほどや。

ワシはまだまだ未熟や。でも、“ものを売る”ことが、いつの間にか“誰かの記憶を支える”ことになっとる。
正吉印っちゅうのは、ワシの名前やけど、ワシ一人で作ったもんやない。職人さん、陽太、AI……みんなの知恵と手でできとる。

そやから、拓也。
一緒にやろう。ただし、覚悟はいるぞ。ワシは甘ないで。
でも、どんなに怒鳴っても、それは“信用”の裏返しや。

お前が本気でやる気なら、ワシも本気で迎える。
家族としてやなく、“仕事仲間”としてな。

正吉は手紙を書き終えると、封をして、そっとポストに投函した。

空を見上げる朝

翌朝、正吉は久々に早朝の空を見上げた。
小さな雲がぽつぽつと浮かんでいて、その向こうに広がる青がまぶしい。

「おい、貴美子……聞いたか。拓也がな、手伝いたいってさ」

笑いながらそう話しかけると、どこからか風が吹いて、庭の木々がさわさわと揺れた。

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