― 季節のかけらが運んでくる、記憶の扉。
風が少しやわらかくなったと思ったら、
散歩道の足元に、つくしが一本、顔を出していた。
冬のあいだ、裸だった木々がほんのり芽吹きはじめている。
遠くの電線にとまった鳥が、どこか浮かれた声で鳴いていた。
春は、いつも“静かに”やってくる。
そして、不思議なことにその気配は、
決まって「誰か」の記憶を連れてくる。
つくしを見て思い出したのは、子どものころ祖母と歩いた河川敷。
手を引かれながら、草むらで顔を出したばかりの野草を探したあの日。
「これ、食べられるのよ」って、笑いながら摘んでいた祖母の姿。
沈丁花の香りが風に乗ってきたとき、
ふと、昔の恋人がよく着ていた白いニットを思い出した。
香りと一緒に、ふたりで歩いた街路樹の並ぶ道がよみがえる。
春という季節には、記憶を“ほどく”力があるのかもしれない。
色や香り、陽射しの角度、風のにおい。
そんな些細な感覚が、心の奥にしまっていた思い出の扉を
ふいに、やさしく開けてしまう。
それは決して、切ないことばかりではない。
むしろ、胸の奥がほのかに温まるような、
「そういえば、そんな日があったな」と頬がゆるむような記憶たち。
ひとりで歩いているはずの道なのに、
誰かと並んでいたような気がする午後。
過去と今が、少しだけ重なったような時間。
春は、新しい始まりの象徴とよく言われるけれど、
同時に「思い出しながら、そっと歩き出す」ための季節でもあると思う。
今日見つけた小さな春。
それは、たった一本のつくしだったかもしれない。
けれどその小さな命が、確かに誰かの面影を連れてきてくれた。
——季節のかけらは、記憶の鍵。
春の散歩道には、静かな再会が、そっと忍ばせてある。