― 何気ない習慣が、心の奥を静かに撫でてくれるとき。
午後三時、陽が少し傾きかけた頃。
お気に入りの湯のみに、熱めのお茶を注ぐ。
湯気がふわりと立ちのぼり、静かな部屋に香ばしい香りがひろがる。
それは、毎日の中にある何気ない習慣。
誰にも見せることのない、小さな儀式のような時間。
けれど、不思議なことに——そのひと口が、ふと心に沁みる瞬間がある。
お茶の味は変わらないはずなのに、
飲むその日によって、受け取る温度が少し違う。
気持ちが疲れている日には、やけにやさしく。
何かに迷っているときには、そっと背中を押してくれるように感じる。
そして、湯のみの存在にも、どこか救われている自分に気づく。
お気に入りの焼きもの。少し厚めの縁に、手に馴染む丸み。
あの人にもらったもの。旅先でふと手に取ったもの。
使い続けるうちに、器にも物語が染み込んでいく。
ふと、思い出す。
若い頃は、ただ飲みやすければいいと思っていた。
でも今は、“好きな器”で飲むということが、
心をあたためる大切な要素になっている。
お茶を飲む時間は、ひとりと向き合う時間でもある。
テレビもスマホもつけず、窓の外をぼんやり眺めながら、
湯のみを手の中で転がす。
すると、遠くの記憶がふとよみがえってくる。
母がいつも使っていた急須。
祖父が縁側で飲んでいた湯のみ。
あの人と交わした、何でもない会話。
ただのお茶の時間が、
自分の中の静かな場所とつながるきっかけになる。
何も起こらない午後にこそ、
こういう“静けさの中の豊かさ”を感じられるようになったのは、
歳を重ねてきたからかもしれない。
人生にとって必要なのは、たぶん派手な出来事よりも、
こんなふうに、心をなだめてくれる習慣なのだ。
——今日も、同じ湯のみで、同じようにお茶を飲む。
でも、その積み重ねが、確かに心を支えている。
それが、沁みるということなのだろう。