日記を読み返す夜に、昔の自分と再会する

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― ページの向こうから語りかけてくる、あの頃の声。

 

ふとした拍子に、引き出しの奥から古い日記帳が出てくることがある。
革の表紙は少しくたびれ、ページの角は丸くなっている。
けれど、その中には、過ぎ去ったはずの“自分”が生きている。

 

ある夜、眠れぬまま灯りをつけて、その日記をめくってみた。
書かれていたのは、日常の些細な出来事、職場での愚痴、子どもたちの言葉、そして少しの夢と迷い。
字の形が不揃いで、勢いのある日は筆圧が強く、疲れた日にはかすれている。
まるで当時の心の動きまでもが、そこに刻まれているようだった。

 

「忙しいけれど、少し幸せ」
「今日は夫とケンカ。いつまで経っても、わかり合えないこともある」
「このまま年を取っていくのかな。私は何を残せるだろう」

 

読みながら思うのは、不思議な懐かしさと、少しの驚きだ。
こんなふうに考えていたのか、こんなことで悩んでいたのか。
そして、こんなにも一生懸命に、生きようとしていたのか——と。

 

日記というのは、未来の自分に宛てた手紙なのかもしれない。
そのときには気づかなかった気持ちや、言葉にできなかった願いが、
ページの向こうから静かに語りかけてくる。

 

過去の自分と再会することで、現在の自分が少しだけ許せるようになる。
「あの頃の私もがんばってたな」と思えることは、
今の自分への優しさにつながる。

 

何も成し遂げられなかった気がする夜でも、
あの頃の日記が、「ちゃんと生きてた」と教えてくれる。
自分だけが知っている、自分の物語。
それは誰の評価もいらない、ひとつの証明だ。

 

年を重ねるということは、
“再会”を重ねていくことでもあるのかもしれない。
懐かしい誰かに、昔好きだったものに、
そして、忘れていた自分自身に。

 

たまには、昔の日記をめくってみるのもいい。
そこにいるのは、いまの自分をつくってきた「証人」であり、
これからを支える「味方」でもあるのだから。

 

——灯りの下、静かにめくるページの音。
それは、時間を超えて届く自分からの声。