駅前のパン屋と、焼きたての記憶

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――変わりゆく町で変わらない気持ちを探す物語。

 

駅前に小さなパン屋がある。
名前は「ル・ブラン」。フランス語で“白”という意味だと、
昔、その店で働いていた彼女が教えてくれた。

 

今朝、久しぶりにそのパン屋の前を通った。
小さな窓から漂う焼きたての香りは、あの頃と同じだった。

でも、隣の花屋はコンビニになり、駅舎も新しくなっていた。
変わっていくものの中で、変わらずにある香りに、
彼の足は自然と止まった。

 

——

 

彼と彼女が出会ったのは二十五年前。
大学を卒業してすぐ、彼はこの町に赴任してきた。
右も左もわからない中で、毎朝立ち寄ったのが「ル・ブラン」だった。

 

「いらっしゃいませ。今日もあんぱんですか?」

カウンター越しのその声は、いつも少し弾んでいた。
そしてあんぱんを渡すときの笑顔は、
朝の空気に、ぽっと灯りをともすようだった。

 

何度目かの朝、彼は勇気を出して訊いた。

「……毎日、同じ時間に焼いてるんですか?」

「ええ、7時半にオーブンから出します。
でも——」

「でも?」

「あなたが来るときが、いちばん“焼きたて”になるんですよ。不思議と」

 

その言葉に、彼はパンの温かさとは別の熱を感じていた。

 

——

 

ふたりが付き合い始めたのは、それから半年後。
彼女は毎朝、彼の好みに合わせてパンを変えてくれた。
メロンパンの日、くるみパンの日、そして、あんぱんの日。

 

「今日はちょっと甘い気分かな、と思って」

そう言って手渡されるパンは、いつだって彼の気持ちを読んでいた。

 

けれど、数年後、彼は転勤になった。
別れの前の日、彼はいつものように店に立ち寄った。

「……今日のパンは?」

「今日は、これです」

手渡されたのは、見たことのないハート型のパンだった。
ほんのり苺の香りがして、少し照れくさかった。

「お別れの味です。ちゃんと噛んで、覚えててくださいね」

 

彼はパンと、彼女の言葉を胸にしまい、次の町へ向かった。

 

——

 

それから月日が流れ、仕事を定年で退いた彼は、
今、ふたたびこの町に戻ってきた。
もう会うこともないと思っていたその場所で、彼は偶然彼女を見かけた。

 

変わらぬパンの香りと一緒に、
カウンターの奥で焼き上がりを確認する姿。

 

目が合うと、彼女は少し驚いたように笑った。

「……焼きたて、ちょうど出ましたよ」

まるで、昨日の続きのようだった。

 

「まだ、僕の気持ちも焼きたてだと思います。冷めてなければ…」

「冷めてないですよ。たぶん、ずっと保温中です」

 

ふたりは、あの日のハート型のパンを分け合った。
苺の香りは、少し懐かしくて、どこか新しくて。

 

外の景色はすっかり変わっても、
駅前のパン屋と、焼きたての記憶は、
ふたりの心の中で静かに残っていた。

 

——
町が変わっても、香りが残るように。
想いもまた、時間の奥で、焼きたてのまま息づいているのかもしれない。


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