風がやさしく、木々の葉を揺らしていた。
陽ざしは強いが、日陰に入ると肌をなでる風に、ほんの少しだけ秋の匂いが混じっている。
午後三時。町の外れの公園は、子どもたちがいなくなった時間帯のせいか、静けさに包まれていた。
ベンチに腰を下ろした高梨弘は、手にした文庫本をゆっくりと開いた。
読み返すのは、芥川龍之介の短編集。音楽教師をしていた若い頃から、授業の合間に読み続けていたお気に入りだった。
「失礼します、ここ、空いてますか?」
不意に声をかけられ、弘は顔を上げた。
そこには、帽子を手に持ち、控えめに笑う女性が立っていた。
「どうぞ。……陽ざしが強いですから、日陰の方へ」
「ありがとうございます。……ああ、風が気持ちいいですね」
そう言ってベンチの端に腰かけたのは、工藤澄子という女性だった。
弘と同じく、一人でこの公園にやって来たようだ。
服装はシンプルだが清潔で、足元の白いスニーカーがよく似合っていた。
しばらくは、ふたりとも黙っていた。
風の音と、時おり鳥がさえずる声だけが聞こえてくる。
弘は再び本に目を落とし、澄子はバッグから俳句のノートを取り出していた。
「……あの、もしかしてそれは俳句ですか?」
弘が声をかけると、澄子は少し驚いたように顔を上げた。
「ええ。趣味で書いてるだけですけど……」
「僕は音楽をやってきたんですが、言葉のリズムにも興味があって。俳句って、五・七・五の制約があるからこそ、かえって自由になれる気がします」
「……それ、いい言葉ですね」
ふたりの間にあった空気が、すっとほどけたようだった。
「昔、教師をしていたんですよ。中学で音楽を」
「そうなんですか。私は市役所勤めでした。長く、窓口の対応を……」
どちらからともなく、少しずつ話しはじめると、不思議と会話はとぎれなかった。
退職後のこと、趣味のこと、家族のこと。
それぞれの“今”を持ち寄って、ふたりは少しだけ、自分の居場所を確かめ合うように話し続けた。
やがて、陽が少しだけ傾きはじめる。
長くなった木陰がふたりを包むように伸びていた。
「そろそろ、帰ります」
澄子が立ち上がったとき、弘は静かに言った。
「また、この時間に来ます。……ここが、少し好きになりましたから」
澄子は、帽子をかぶりながら答えた。
「そうですね。私も、また来るかもしれません」
ベンチに残ったのは、芥川の本と、午後の余韻。
“はじめまして”という言葉が、ふたりにやさしい風を運んでいた。
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