人生の第2幕 第4章:メダカ養殖の始まり

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メダカの小さな命を手にしてから、忠男の毎日は少しずつ色づき始めていた。

朝、日が差し込む前に起きて水槽を覗く。昨夜産み落とされたばかりの卵が水草の影に光っているのを見ると、自然と笑みがこぼれた。これまで経験してきたビジネスとは違い、数字でも成果でもなく、生き物との静かな対話が、忠男の心を穏やかにしていった。

けれど、彼の中に芽生えていたのはただの趣味ではない。これは、自分にとって最後の仕事かもしれないという想いだった。

「やるからには、本気でやろう。」

そう決めた忠男は、かつて営業マン時代に染み込んだ“調査癖”を発揮した。毎日のようにネットや書籍で情報を集め、地域のアクアリウム店を回り、メダカ業界の現状を学んでいった。

分かったことは、今のメダカ市場が静かに熱を帯びているという事実だった。特に、改良メダカと呼ばれる品種――幹之(みゆき)、黒ラメ、紅帝(こうてい)、ダルマメダカなどが高値で取引されること。そして、一般家庭でも気軽に飼えることから、ファン層が老若男女に広がっているという。

忠男の目は再び営業マンの鋭さを取り戻していた。

「このブームは一時的じゃない。需要はある。」

問題は、自分のような素人がどう差別化し、安定して育て、販売まで持っていけるかだった。

彼はまず、庭の一角を整理し、大型のプラ舟(FRP水槽)を三つ購入。ホームセンターでブロックを買い、簡易的な“養殖池”を作った。水を張り、カルキを抜き、ヒーターとエアレーションを設置する。池にはホテイアオイという水草を浮かべ、メダカが卵を産みやすい環境を整えた。

最初の種親(繁殖用のメダカ)は、地元のブリーダーから10匹の幹之メダカを購入した。選別された強い個体で、やや高かったが、忠男は「質がすべて」と考え、迷わず投資した。

最初のうちは神経をすり減らすような日々だった。水温が安定せず、エサの加減も分からず、病気にかかったメダカが浮かんで死んでしまうこともあった。

「これは……甘くなかったか。」

忠男は何度もそう思ったが、それでも諦めることはなかった。失敗の連続の中にも、小さな発見があった。

「水温は急激に変えるな」

「エサはやりすぎない方がいい」

「元気のない個体はすぐに隔離する」

経験だけが教えてくれる“肌感覚”を、彼は少しずつ掴んでいった。

やがて初めての繁殖に成功し、卵が孵化した。小さな、小さな針のような稚魚たちが、水面近くをふわふわと漂っている。忠男はしばらく息を飲みながら、それを見つめていた。

「生まれた……」

生きている――それだけで、心が震えた。

生まれた稚魚を育てるには、また別の水槽が必要だった。忠男は空いたプラ舟を稚魚用に使い、ブラインシュリンプという微小なエサを孵化させて与えた。

そして数週間後、小さな稚魚たちは立派なメダカの姿になりつつあった。

「いける……これは、いけるかもしれない」

忠男は思った。

ある日、ふとSNSで「メダカ即売会」の情報を見かけた。近県で開かれる、愛好家とブリーダーが集う小さなイベントだった。思い切って出展を申し込んでみた。

テーブルひとつ分のスペースに、自慢の幹之メダカを持ち込み、名刺代わりに「山田養魚園(仮)」という小さな札を立てた。

通りかかった親子連れが立ち止まる。

「わぁ、キラキラしてる!」

「これは幹之メダカって言って、光る品種なんですよ」

忠男は、営業マンだったころの口調で説明を始めた。自然と笑顔がこぼれる。来場者は思いのほか多く、なんと1日で10セット以上の販売に成功した。

その日の帰り道、忠男は疲労感とともに、胸の奥からじんわりと湧き上がる達成感に包まれていた。

「まだまだいけるぞ」

夜風が吹く中、自宅の池の前に立ち、静かに水面を見つめる。そこには、無数のメダカたちが静かに泳いでいた。

彼の人生の第2幕が、ようやく本格的に幕を開けた瞬間だった。

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