湯気の向こうに 第1章 湯気のない朝

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 湯気の立たない味噌汁をひと口すすると、仁は舌の奥で小さくしかめた。
 冷たいわけではない。けれど、ぬるい。電気ポットのお湯で溶いたインスタント味噌汁は、いつもこんな温度だ。だが、今朝はとりわけ味気なく感じた。

 佐伯仁、六十八歳。定年まで勤め上げた市営バス会社を三年前に退職し、いまは小さな団地で一人暮らしをしている。
 妻の良子が亡くなってから、もう五年になる。最初の一年は毎朝炊飯器をセットし、味噌汁もきちんと鍋で作っていた。それが、だんだん億劫になり、レトルトやインスタントへと変わっていった。

 食卓の向こう側、空の椅子が目に入る。
 良子が座っていた椅子。彼女が使っていた箸置きはそのままだ。処分する気にもなれず、けれど使う気にもなれず、ただそこに置いてある。埃だけは、欠かさず拭いていた。

「……さてと」

 仁は立ち上がり、マグカップを流しに運んだ。
 軽くて持ちやすいマグは、最近ホームセンターで見つけたものだ。うっかり落としても割れないし、熱い飲み物を入れても持ちやすい。
 ただ、良子ならきっと「趣がないわね」と笑うだろう。陶器の手触りが好きだった人だ。

 テレビをつける。天気予報とニュースの合間に、コーヒーのCMが流れる。若い夫婦が笑いながら朝食を囲んでいる映像に、仁は思わず目をそらした。
 ひとりの朝は、どこか無音だ。テレビの音がしても、それは心を満たす音ではない。


 午前十時、ポストに新聞を取りに行くと、向かいの棟から見知った顔が出てきた。
 公民館の世話人、山岸さんだ。七十を越えてなお、町内のあちこちを元気に歩いて回っている。

「佐伯さん、おはようございます。今度の日曜、時間あるかしら」

「日曜? ……特には」

「ならちょうどいい。今、公民館で“男の料理教室”やってるの。参加しない?」

 仁は面食らった。男の料理教室。なにを今さら、とも思ったが、山岸さんは笑ってこう言った。

「高齢者向けの企画でね。一人暮らしの男性、けっこう食生活が乱れてるんですって。アンケートにも、あなたの年齢層が一番“買ってきたもので済ませる”って出てたのよ」

 図星だった。反論しようにも言葉が出てこない。

「一度、顔を出してみたら? 気晴らしにもなるし。お昼には、みんなで作った煮物とご飯が出るわよ」

「……煮物、ねえ」

 仁はふと、良子が作ってくれた肉じゃがを思い出した。砂糖と醤油の加減が絶妙で、じゃがいもが口の中でほろりと崩れる、あの味。

「うん、行ってみようか」

 自分でも意外なほど素直に、そう答えていた。


 部屋に戻ると、仁は冷蔵庫を開けた。
 奥のほうにあった小さなタッパー。先日スーパーで買った総菜の切干大根が、少しだけ残っている。
 電子レンジで温め直し、箸をつけたとき、仁はふと「味が平坦だ」と思った。塩味も甘味も、ただの“味”として舌に乗る。

 良子の煮物は、もっと複雑だった。
 根菜の出汁の香りや、少し強めの醤油の残り香、そして“人の手”の温度が、どこか違っていた。

 思えば、自分は食べものだけでなく、音や匂いや手触りといった“日常の細部”をどこかで切り捨ててきたのかもしれない。
 便利さを追い求めて、電子レンジや電気ポットにすべてを委ねてきた生活。悪くはない。だが、そこに湯気がなかったのだ。

 仁は新聞をめくりながら、しばらく考えこんでいた。
 「料理教室」なんて、柄でもない。
 けれど――あの煮物の味を、もう一度、自分の手で作ることができたなら。
 そのとき、また、湯気の向こうに誰かの笑顔が見えるような気がした。

 そんな気持ちが、自分の中に残っていたことに、仁は少し驚いた。


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