冬が明け、街に春の気配が漂い始めた頃、智也は自宅の書斎で、ひとつのメールを読み終えていた。
「三浦様、貴媒体を拝見し、ぜひ取材をお願いしたく……」
某業界誌からの掲載依頼だった。個人で運営していたアフィリエイトメディアが、ついにメディアとして“見つけられた”のだ。
「ようやく、ここまで来たか……」
智也は小さく息を吐き、背もたれにもたれた。
母の四十九日を終えた頃から、彼は以前にも増して発信に力を入れていた。ブログだけでなく、動画、メールマガジン、SNS。
「個人の言葉が、人を動かせるか?」
その問いに、少しずつ「Yes」という手応えが返ってくるようになっていた。
「三浦さんの記事で、家族との関係を見直しました」 「この商品、うちの母にも合いました。ありがとう」 「同世代でもネットで挑戦できるんですね。勇気もらいました」
レビューだけでなく、体験談や介護の記録、仕事への思い——すべてが、読者に“刺さって”いた。
かつて広告代理店で量産していたコピーと違い、自分自身の言葉が誰かの心に届いている実感。それは、金銭では測れない充実感だった。
「肩書じゃなく、“信頼”が残っていくんだな」
ふとそんな言葉が、胸に浮かんだ。
そしてもう一通、別のメールが届いた。
——「地域×介護×アフィリエイト」で、共同メディア立ち上げの打診。
送信者は、ネット起業家の小田だった。
《お疲れ様です。実は今、地方自治体とも連携して、高齢者のためのオンライン支援プラットフォームを立ち上げようとしてます。 その中に「経験者の声を届ける専門メディア」を組み込みたくて。三浦さん、編集長として関わってもらえませんか?》
智也は、すぐには返事をしなかった。
書斎の窓から、春の陽射しが差し込んでいる。
「編集長か……五年前の俺が聞いたら笑うだろうな」
失業、介護、無収入、孤独。 あの時の絶望があったから、今の言葉が“届く”のだろう。
数日後、智也は地方のNPOが主催するセミナーに登壇した。「50代から始める“言葉の仕事”」というテーマで。
参加者は、同世代かそれ以上の年代が中心。真剣なまなざしで彼の話に耳を傾けていた。
「最初は不安しかありませんでした。クリックされない、売れない、何も起きない。でも続けていくと、“誰かの役に立っている”ことが見えてくるんです」
講演後、列をなして感想を述べる人たちに囲まれ、智也は微笑んだ。
この手応えこそが、新しい肩書の証なのだ。
そして春のある朝——
彼は、かつて父が座っていた縁側でノートPCを開いた。
タイトルを入力する。
『人生の肩書は、自分で書き直せる』
それが、新しいメディアの最初の記事だった。
風が吹いた。 桜の花びらが、ページの上に舞い降りた。
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