会社倒産からの船出 第6章:数字の向こうにいる人

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 午前五時、目覚まし時計よりも早く目が覚めるのが、最近の智也の日常だった。父の入院と介護施設への入居が決まり、生活のリズムがようやく整ってきたとはいえ、胸の奥に巣食う焦燥感は消えない。

 パソコンを立ち上げ、アナリティクスの画面を開く。昨日公開した記事は、予想以上のアクセス数を記録していた。

 「……本当に、誰かが読んでるんだな」

 SEOやキーワードの勉強を続け、地道に記事を積み上げてきた。その一つひとつがようやく検索に引っかかり始めたのか、アクセスはじわじわと伸びていた。月収は七万円を超え、アフィリエイトの副収入が生活の支えとして成立し始めていた。

 けれど、数字だけでは何かが足りなかった。達成感とは違う、空白のような感情。

 そんなある日、ブログの問い合わせフォームに一通のメッセージが届いた。

 ──「三浦さんの記事に、救われました。私はいま、家族の介護をしながら在宅ワークに挑戦しています。同じような境遇の方が、こんなふうに前に進んでいると知って、勇気をもらいました」

 読み終えた瞬間、胸が熱くなった。

 数字の向こうに、人がいる。

 ただのアクセスカウントではない。その一つひとつに、読んだ人の気持ちや背景がある。自分が書いた言葉が、誰かの苦しさや迷いに寄り添っていた。

 その夜、智也は記事の最後に「あなたの声を、ぜひ聞かせてください」と一文を添えた。

 すると数日後から、ぽつぽつと感想のメッセージが届くようになった。

 ──「介護って、誰にも理解されない孤独ですよね」  ──「深夜のコンビニで働く話、自分と重なって泣きました」  ──「家族を看取った後、何をしたらいいかわからなかった。でもこの記事を読んで、自分も何か始めたいと思った」

 智也は一つひとつの声に丁寧に返信した。感謝の言葉を返し、相手の背景に思いを馳せながら、自分の経験をもう一度かみしめる。

 それは、広告代理店時代にはなかった体験だった。

 当時は数字を伸ばすために、どう人を動かすかばかりを考えていた。人の「共感」を戦略的に作り出す日々。だが今は違う。自分の言葉が誰かの心に届き、役に立っているという実感が、ただ静かに、深く沁み渡っていく。

 ある日、SNSを通じて一人の女性から連絡があった。

 「記事を読んで、うちのオンライン介護者コミュニティに紹介したいんですけど、いいですか?」

 もちろんです、と即答した智也は、その後オンラインイベントにも招かれ、自身の体験談を語ることになる。

 Zoomの画面越しに並ぶ数十人の顔。みなそれぞれの事情を抱えた介護者たちだった。智也は自分の体験、失業、親の介護、そしてアフィリエイトを始めた経緯を丁寧に語った。

 イベントの終盤、司会者が問いかけた。

 「三浦さんにとって、今の“仕事”とは何ですか?」

 少しの沈黙のあと、智也は静かに答えた。

 「誰かの孤独に、寄り添うことかもしれません」

 パチパチと鳴る拍手の音。画面の向こうから、確かな温もりが伝わってきた。

 それからというもの、智也のブログには、介護や中年の再出発をテーマにした記事が増えていった。広告の収益も右肩上がりに伸び、月収は十万円を超えた。

 だが、金額の多寡よりも、やはり読者との関係性の方が、智也には大きな意味を持っていた。

 ある日、自分が書いた記事が、介護系のメディアに引用された。記事の最後には「三浦智也さんのブログより引用」と書かれていた。

 ──“三浦智也”という名前が、また世の中とつながり始めている。

 ふと、昔の名刺を思い出す。「シニアクリエイティブディレクター」という肩書に、誇りもあった。しかしいま、肩書がなくても、言葉で誰かとつながっていける自分に、少しだけ自信が持てるようになった。

 その夜、父の施設から連絡があり、久々にビデオ通話をつないだ。

 「どうだ、仕事は順調か?」  「うん。少しずつだけど、誰かの役に立ててる気がするよ」

 画面越しの父が、うれしそうに笑った。

 眠りにつく前、智也はつぶやいた。

 「数字の向こうには、人がいる」

 そう信じられるようになったことが、今の彼にとって、何よりの報酬だった。

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