会社倒産からの船出 第3章:クリックの向こう側

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 深夜の台所で、お湯を沸かしながらスマホを弄っていた。白湯を飲む癖がついたのは、胃が弱くなったからか、それとも空腹をごまかすためだったか。窓の外では雨が降っていた。静かな、寂しい夜だった。

 何気なくSNSを眺めていると、ある広告が目に止まった。『あなたの経験が、収入に変わる』。その一文に、心がわずかに揺れた。

 (どうせまた、胡散臭い副業か何かだろう)

 そう思いながらも、リンクをタップしていた。

 表示されたのは、アフィリエイトという言葉を初めて聞いた時と同じくらい、怪しさをまとったランディングページ。成功者の笑顔、スマホ片手に海外のビーチで仕事している風の画像。ありがちな嘘くささに鼻で笑いながらも、ページを閉じることはできなかった。

 (本当に、こんなので稼げるのか?)

 今までの人生では考えもしなかった働き方が、画面の向こうにある気がした。

 「アフィリエイトとは、他人の商品を紹介し、そこからの成果に応じて報酬が得られる仕組みです」

 仕組みだけを見れば単純だった。だが、自分のような人間がそんなことをできるのか。コピーライティングは得意だったが、それはあくまで企業の看板を背負った仕事だった。匿名で、個人で、信頼を得られるのか。

 躊躇いながらも、智也は手を動かした。無料ブログではなく、WordPressを使うと本格的だと書いてあった。ドメイン取得、レンタルサーバーの契約、テーマの設定。やることは山ほどあった。

 「ええい、もうやってしまえ」

 かつて企画書を一晩で何十ページも作った男が、たったひとつのブログを始めるだけで、なぜこんなに手間取るのか——。

 だがその苦戦も、どこか懐かしかった。新しいことに挑むワクワクが、ほんの少しだけ心を灯した。

 ブログのタイトルは悩んだ末、「終わった肩書、始まった日々」に決めた。

 「……ちょっと自虐が過ぎるか」

 笑いながらも、どこか納得していた。

 初めて書いた記事は、会社を辞めた日についてだった。自分の過去を振り返るように、言葉を紡いだ。読み返すと拙い部分も多かったが、不思議と清々しかった。

 書き終えたあと、投稿ボタンを押す手が震えた。

 (こんな記事、誰が読むんだろう)

 次の日も、その次の日も、アクセス数はゼロだった。

 「まあ、最初はこんなもんか」

 そう言い聞かせながら、智也は毎日一記事を目標に書き続けた。失業後の手続きのこと、介護認定の流れ、警備のバイトの体験談。自分が困ったときに欲しかった情報を、できるだけ丁寧に書いた。

 ある日、「アフィリエイト 初心者」と検索してたどり着いたフォーラムで、無料のチャット相談を受け付けている若い起業家の投稿を見つけた。

 『副業初心者向けにチャット相談受付中です。気軽にどうぞ!』

 顔写真付きのプロフィールに、違和感はなかった。ビジネス書に出てくるような誇大な文言もなく、控えめな雰囲気が逆に信頼感を抱かせた。

 「……相談だけなら、いいか」

 思い切ってチャットを送ってみた。

 『はじめまして。53歳、元広告代理店勤務です。WordPressでブログを始めましたが、アクセスが全く伸びません』

 数分後、返事が返ってきた。

 『はじめまして!渋くてかっこいい経歴ですね。ちなみに、どんなテーマで書いてますか?』

 『主に、失業後の生活や、介護、日雇いバイトの体験談などです』

 『それ、めっちゃニーズありますよ。特に同世代の方や、これから同じ状況になる人には刺さると思います』

 『……本当ですか?』

 『はい。ターゲットが明確ですし、リアルな体験が一番のコンテンツですから』

 そのやり取りで、智也の中の何かが少し動いた。

 年齢や環境に負い目を感じていた自分に、「あなたにしか書けないものがある」と言ってくれた人がいた。

 チャットの彼は、アフィリエイトの基本的な構成やSEOの考え方を丁寧に教えてくれた。何かを売るためではなく、役に立つことを書く。その基本姿勢が、自分の中の「広告」とも重なった。

 数日後、ある記事の末尾に貼った介護用品のリンク経由で、36円の成果報酬が発生した。

 「えっ……うそ……」

 画面に表示された数字を何度も見返した。

 小さな、小さな、数字だった。でも——。

 「初めて……だ」

 自分の言葉が、誰かの役に立ち、それが形となって返ってきた瞬間だった。

 智也は涙ぐんだ。涙腺が緩くなったのか、心が乾いていたのか、それは分からなかった。

 けれどその瞬間、彼は確かに思ったのだ。

 ——もう一度、始められるかもしれない。

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