古いラジカセと、まだ知らない歌

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――若き日の記憶と、これからの時間が交差する音。

 

押し入れの奥にしまってあった、灰色のラジカセ。
カセットの再生ボタンは少し固く、スピーカーの網にはうっすらと埃が積もっていた。
それでも、電源を入れると、小さな「カチッ」という音とともに赤いランプが灯った。

 

「……まだ、動くんですね」

彼女は少し驚いたように笑いながら、ラジカセに指をそっと置いた。
彼は照れくさそうにうなずきながら、カセットの山から一つを取り出す。

「学生の頃、好きだったバンドのライブ音源です。
当時はこれを毎日聴いてました。今でも、曲順まで覚えてるんですよ」

「へぇ、いいですね。懐かしい音って、記憶まで連れてきてくれますよね」

 

彼女がふと口にしたその言葉に、彼は少し黙ったあと、微笑んだ。

このラジカセは、彼がひとり暮らしを始めたときに買ったものだった。
音楽を聴きながら、時に恋をし、失敗もし、
やがて仕事に追われて音のある生活から遠ざかっていった。

けれど今日、彼女と“音”の話になったとき、
なぜだか無性にこのラジカセをもう一度聴いてみたくなった。

 

「でも……カセット、入れてもいいのかな。古すぎて壊れたりしないかな」

「ダメだったら、ふたりで黙って笑いましょう」

そう言って、彼女はほんの少しだけ、目を細めた。

 

カチッ。ガチャ。ジー……。

古い機械音とともに、テープが回り始める。
最初の曲のイントロが、ラジカセからふわりと流れてきた。

ザラついた音質。
でも、その粗さがやけに優しく感じられた。

 

「……なんだか、知らないのに懐かしい」

「そう? 一緒に聴けるの、嬉しいです」

音楽がふたりのあいだにやわらかく広がっていく。
ソファの距離も、少しずつ近づいていた。

 

「最近の音楽、あまり聴かないんです」

「私も。でもね、たまに思うんです。
“まだ知らない歌”が、これからの思い出に変わるって、素敵だなって」

「……いい言葉ですね」

 

彼は、棚の奥に眠っていた別のカセットを手に取った。
ラベルには、手書きの文字。

——「オリジナル・ミックス:1992 春」

若き日の自分が選んだ曲たち。
もしかしたら、今日この瞬間のために残していたのかもしれない。

 

「このテープ、今度また一緒に聴いてもらえませんか」

「ええ、もちろん。……その代わり、私の“まだ知らない歌”も、聴いてくださいね」

 

窓の外では、夕暮れが街を染めていた。
あの頃の音と、これからの時間が、ゆっくりと重なっていく。

 

——古いラジカセの音が、ふたりの記憶と未来をつなぐ。
それは、過去だけじゃない。
これから始まる物語の「前奏曲」でもあった。