― 言葉にできなかった思いと、今だからこそ伝えられること。
言葉にしなかったことが、なぜこんなにも残っているのだろう。
それは、口にできなかった後悔かもしれないし、
あるいは、胸のうちで丁寧にあたためていた愛情だったのかもしれない。
「あのとき、ありがとうって言えばよかった」
「ごめんね」の一言があれば、あんなふうにはならなかったかもしれない。
「実はね…」と切り出す勇気があれば、何かが変わっていたかもしれない。
そう思う瞬間が、誰にでもあるはずだ。
そして不思議なことに、言葉にしなかったその一瞬は、
時間が経てば経つほど、心の中で存在感を増していく。
小さな棘のようでありながら、なぜか痛みではなく、温度を持った記憶となって残る。
若い頃は、「伝えなくても分かるだろう」と思っていた。
あるいは、「言ってしまったら壊れてしまいそう」と思ったこともある。
でも、言葉にしなかった思いは、やがて“空白”として心の中に居座る。
年月が過ぎ、少しだけゆっくり歩けるようになった今、
その空白を埋める手段があるとしたら——
それは、あのとき言えなかった言葉を、今こそ素直に誰かに伝えることなのかもしれない。
たとえば、今そばにいる人に「ありがとう」と言うこと。
あのとき傷つけてしまった相手に「ごめんね」と伝えること。
もう会えない人には、手紙を書いてみるのもいい。
たとえ届けられなくても、その言葉は自分の心に届く。
言葉は、記憶を救う鍵だと思う。
言えなかった自分を責めるよりも、今できる優しい一歩として、
その鍵をそっと使ってみる。
「言わなかった言葉」が胸にあるのは、
それだけ大切だった証。
今もその思いが、消えていないということ。
言葉にできなかったあの日の自分に、
「もういいよ」と言えるようになったとき、
人生の午後は、ほんの少し明るくなる気がする。