『夏の音、ひとつぶ』第二章:再会

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 「本当に、大村くんなんだね……」

 喫茶店の窓辺に並んで腰掛けた誠一に、高橋純子はじっと目を向けた。半世紀近い時間が空いているのに、こうして向かい合っていると、不思議と空白が埋まるような気がする。

 「こんなところで会うなんてなぁ。てっきりもう、引っ越したと思ってた」

 「一度はね。でも、母の介護があって実家に戻ったの。母が亡くなった後も、なんとなく居ついちゃって……。この店も、母が昔やってた場所なのよ」

 「へえ、そうだったんだ。よく覚えてるよ。ここ、珈琲がうまくてさ」

 「ありがとう。今は私が細々と引き継いでる。流行りのカフェじゃないけど、地元の人が時々立ち寄ってくれるのが嬉しくてね」

 純子はカウンターから湯気を立てたコーヒーを運んできた。彼女の眼鏡の奥には、昔と変わらぬ穏やかな眼差しがあった。フレームの軽い、老眼鏡にしては洒落たデザインだ。

 「いい眼鏡だね。似合ってる」

 「見やすさ優先。最近は文字が小さくて困っちゃう。あ、そういえば……これもあったか」

 と、純子は引き出しから古びたアルバムを取り出してきた。

 「ちょっと待ってて。たぶん……あった。これ、見て」

 アルバムの一枚目、文化祭の集合写真。そこには、若かりし誠一と純子、そして友人たちの笑顔が映っていた。誠一は、自分が今よりもずっと前のめりに笑っていることに驚いた。

 「懐かしいな……あれ、これって?」

 「うん、あのとき。大村くんが校内放送でかけてた曲、覚えてる?」

 「たしか……『海を見ていた午後』だったっけ」

 「そう、それ。あの時、少しだけ、話したの。私……あの頃、伝えたいことがあったんだけど、言えなくて……」

 純子が視線を落とす。誠一は、少し肩を落として笑った。

 「なんだかんだで、僕も似たようなもんだったよ。教師になって、結婚して、仕事に追われて。気づけばもう、こんな歳だ」

 ふたりの間に、ゆっくりと時間が流れていた。

 「……あの頃に戻りたいとは思わない。でも、また話せてよかった」

 「うん。ほんとに」

 外では蝉が鳴き、風が通り抜ける。その風に乗って、風鈴が小さく揺れた。

 「今日は、どこかに泊まるの?」

 「うん。浜の近くにある民宿を予約してある。ひとり旅って、どうしても荷物が多くなるからね。涼しいシャツとか、歩きやすいサンダルとか……備えすぎたかもしれない」

 「旅慣れしてるのね、ふふ。あの辺り、まだ静かでいいところよ」

 誠一は少し笑い、ふと喫茶店の壁際に置かれていた電動かき氷機に目をとめた。

 「これ、まだ動くの?」

 「うん。最近のは小さいけどパワーがあって、氷がふわっと削れるの。暑い日はね、常連さんが『いちごミルク』とか頼んでくれるのよ」

 「じゃあ、僕にも。妻がね、かき氷好きだったんだ」

 「……わかったわ。少し待ってて」

 そう言って純子は立ち上がり、かき氷の用意を始めた。氷の削れる音が、夏の空気に混じって響く。その音が、どこか心地よく、胸の奥を揺らした。

 ひと口、ふた口。いちごミルクの優しい甘さが、舌の上に溶けていく。誠一は目を閉じ、静かに頷いた。

 ——また、話せてよかった。

 ——こんなふうに、夏の午後を過ごせるなんて。

 窓の外では、波が変わらず寄せては返していた。まるで「まだ遅くないよ」と言っているように。

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