湯気の向こうに 第7章 想い出の場所で

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夕暮れの光がゆっくりと街路樹の葉を染めていく。
仁はその温かな橙色の景色を見つめながら、落ち葉の敷き詰められた歩道を歩いていた。
手の中には、小さな箱があった。

この場所は、澄子と初めて出会い、一緒に歩いた思い出の公園。
そして今日、ここで二人は新たな一歩を踏み出す約束をしていた。

ゆっくりと進みながら、仁は過去のことを思い出していた。
何度も離れそうになった心が、澄子の優しさに触れて癒されてきた日々。
長い人生の中で、どれだけ多くのことを失い、そしてどれだけの愛を見つけられたのだろう。

公園の入口を抜けると、澄子の姿が見えた。
穏やかに座り、紅葉の色づく並木道を見つめている。
彼女の背中はどこか凛としていて、同時に柔らかい温かさを漂わせていた。

「澄子さん」

声をかけると、彼女はゆっくりと振り返り、微笑んだ。

「仁さん、待っていましたよ」

ベンチに並んで腰を下ろす。
仁はポケットからそっと箱を取り出し、澄子に差し出した。

「これを、受け取ってもらえますか?」

澄子は驚いたように箱を受け取り、中を覗き込む。
そこには、古びてはいるが繊細に作られた銀色の指輪があった。

「これは……お母様の指輪ですか?」

「はい。母がずっと大切にしていたものです。澄子さんにこの指輪を渡すことで、俺たちの未来を紡ぎたい」

仁の声は震えていたが、誠実な決意が込められていた。

澄子はしばらくその指輪を見つめてから、ゆっくりと口を開いた。

「こんなに素敵な贈り物、受け取っていいのかしら」

「澄子さんと共に歩む覚悟の証です。過去もこれからも含めて、俺たちは一緒です」

指輪を手に取り、澄子の指にはめる。
彼女の指に指輪がはまった瞬間、二人の間に確かな温もりが流れた。

「ありがとう、仁さん」

澄子の瞳にはほんの少し涙が浮かんでいた。

その時、公園の遠くから子どもたちの声が響いてきた。
季節の移ろいを感じさせる秋風が、落ち葉を舞い上げる。

「仁さん、これからも一緒に歩いていきましょうね」

澄子が笑顔で語りかける。

仁もまた優しく笑い返した。

「はい、澄子さん。これからも、ずっと一緒に」

その言葉が、静かな秋の空気に溶けていった。


澄子の指にそっとはめた指輪は、まるで二人の心の絆を確かめるかのように、柔らかな光を反射していた。
仁はしばらくそのまま澄子の手を握り締めた。

「ねえ、仁さん」

澄子が少し躊躇いながら口を開く。

「私、あなたと一緒に歩くこれからの人生が、怖いと思ったこともあるの」

仁は驚いたように顔を上げた。

「怖い?」

「はい。年齢も環境も、過去に抱えたものも、それぞれ違う二人が一緒になることの不安。これまでの生活を変えることへの恐れもあったわ」

澄子はゆっくりと深呼吸をし、視線を遠くに向けた。

「でも、あなたがそばにいてくれることが、私に勇気をくれた。だから……今日、ここで決めたの」

「どう決めたんだい?」

「もう一度、結婚しましょうって」

その言葉に仁の胸は熱くなった。

「俺もそう思っていた。過去の傷も悲しみも、全部抱きしめて、一緒に歩いていこう」

二人の間に流れる空気は、いつになく穏やかで温かかった。

秋の風がそっと澄子の髪を撫で、彼女は恥ずかしそうに笑った。

「想い出の場所が、私たちの新しいスタートラインになるんだね」

「そうだね。ここで交わした約束は、これからの人生の礎になる」

そう話しながら、仁はゆっくりと立ち上がり、澄子の手を引いた。

二人は公園の並木道を歩き始めた。

落ち葉が舞い上がり、足元で乾いた音が響く。

「ねえ、仁さん」

澄子が声をひそめて言った。

「私たちのこれからの暮らし、どんな風にしようか」

仁は少し考えてから答えた。

「ゆっくりと、無理せずに。お互いのペースを尊重しながら、時には新しいことにも挑戦していこう」

「楽しみだわ」

澄子の目は輝いていた。

「それに、二人で一緒に過ごす時間が増えたら、生活ももっと豊かになるでしょうね」

仁はにっこり笑い、ポケットからスマートフォンを取り出した。

「ほら、こういう便利なアイテムも使いこなしていこうか」

スマホには、高齢者向けに設計された健康管理アプリや、簡単に使えるビデオ通話アプリが表示されていた。

「遠くに住む子どもたちとも、これで顔を見ながら話せるよ」

澄子は感心して画面を覗き込み、笑みを浮かべた。

「便利な時代になったわね」

二人の間に、これからの生活を楽しみにする期待が膨らんだ。

やがて、公園の出口へとたどり着く。

夕陽が沈みかけ、空は茜色に染まっていた。

「澄子さん、今日という日は、一生忘れられない日になるよ」

仁はそう言って、彼女の肩に優しく手を添えた。

「私も、仁さんと過ごす未来を大切にしていくわ」

澄子の声は小さく、でも確かな響きを持っていた。

秋の風が二人を包み込み、新しい季節の訪れを告げているようだった。