会社倒産からの船出 第8章:再出発の朝

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 冬が明け、街に春の気配が漂い始めた頃、智也は自宅の書斎で、ひとつのメールを読み終えていた。

 「三浦様、貴媒体を拝見し、ぜひ取材をお願いしたく……」

 某業界誌からの掲載依頼だった。個人で運営していたアフィリエイトメディアが、ついにメディアとして“見つけられた”のだ。

 「ようやく、ここまで来たか……」

 智也は小さく息を吐き、背もたれにもたれた。

 母の四十九日を終えた頃から、彼は以前にも増して発信に力を入れていた。ブログだけでなく、動画、メールマガジン、SNS。

 「個人の言葉が、人を動かせるか?」

 その問いに、少しずつ「Yes」という手応えが返ってくるようになっていた。

 「三浦さんの記事で、家族との関係を見直しました」  「この商品、うちの母にも合いました。ありがとう」  「同世代でもネットで挑戦できるんですね。勇気もらいました」

 レビューだけでなく、体験談や介護の記録、仕事への思い——すべてが、読者に“刺さって”いた。

 かつて広告代理店で量産していたコピーと違い、自分自身の言葉が誰かの心に届いている実感。それは、金銭では測れない充実感だった。

 「肩書じゃなく、“信頼”が残っていくんだな」

 ふとそんな言葉が、胸に浮かんだ。

 そしてもう一通、別のメールが届いた。

 ——「地域×介護×アフィリエイト」で、共同メディア立ち上げの打診。

 送信者は、ネット起業家の小田だった。

 《お疲れ様です。実は今、地方自治体とも連携して、高齢者のためのオンライン支援プラットフォームを立ち上げようとしてます。  その中に「経験者の声を届ける専門メディア」を組み込みたくて。三浦さん、編集長として関わってもらえませんか?》

 智也は、すぐには返事をしなかった。

 書斎の窓から、春の陽射しが差し込んでいる。

 「編集長か……五年前の俺が聞いたら笑うだろうな」

 失業、介護、無収入、孤独。  あの時の絶望があったから、今の言葉が“届く”のだろう。

 数日後、智也は地方のNPOが主催するセミナーに登壇した。「50代から始める“言葉の仕事”」というテーマで。

 参加者は、同世代かそれ以上の年代が中心。真剣なまなざしで彼の話に耳を傾けていた。

 「最初は不安しかありませんでした。クリックされない、売れない、何も起きない。でも続けていくと、“誰かの役に立っている”ことが見えてくるんです」

 講演後、列をなして感想を述べる人たちに囲まれ、智也は微笑んだ。

 この手応えこそが、新しい肩書の証なのだ。

 そして春のある朝——

 彼は、かつて父が座っていた縁側でノートPCを開いた。

 タイトルを入力する。

 『人生の肩書は、自分で書き直せる』

 それが、新しいメディアの最初の記事だった。

 風が吹いた。  桜の花びらが、ページの上に舞い降りた。

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