午前五時、目覚まし時計よりも早く目が覚めるのが、最近の智也の日常だった。父の入院と介護施設への入居が決まり、生活のリズムがようやく整ってきたとはいえ、胸の奥に巣食う焦燥感は消えない。
パソコンを立ち上げ、アナリティクスの画面を開く。昨日公開した記事は、予想以上のアクセス数を記録していた。
「……本当に、誰かが読んでるんだな」
SEOやキーワードの勉強を続け、地道に記事を積み上げてきた。その一つひとつがようやく検索に引っかかり始めたのか、アクセスはじわじわと伸びていた。月収は七万円を超え、アフィリエイトの副収入が生活の支えとして成立し始めていた。
けれど、数字だけでは何かが足りなかった。達成感とは違う、空白のような感情。
そんなある日、ブログの問い合わせフォームに一通のメッセージが届いた。
──「三浦さんの記事に、救われました。私はいま、家族の介護をしながら在宅ワークに挑戦しています。同じような境遇の方が、こんなふうに前に進んでいると知って、勇気をもらいました」
読み終えた瞬間、胸が熱くなった。
数字の向こうに、人がいる。
ただのアクセスカウントではない。その一つひとつに、読んだ人の気持ちや背景がある。自分が書いた言葉が、誰かの苦しさや迷いに寄り添っていた。
その夜、智也は記事の最後に「あなたの声を、ぜひ聞かせてください」と一文を添えた。
すると数日後から、ぽつぽつと感想のメッセージが届くようになった。
──「介護って、誰にも理解されない孤独ですよね」 ──「深夜のコンビニで働く話、自分と重なって泣きました」 ──「家族を看取った後、何をしたらいいかわからなかった。でもこの記事を読んで、自分も何か始めたいと思った」
智也は一つひとつの声に丁寧に返信した。感謝の言葉を返し、相手の背景に思いを馳せながら、自分の経験をもう一度かみしめる。
それは、広告代理店時代にはなかった体験だった。
当時は数字を伸ばすために、どう人を動かすかばかりを考えていた。人の「共感」を戦略的に作り出す日々。だが今は違う。自分の言葉が誰かの心に届き、役に立っているという実感が、ただ静かに、深く沁み渡っていく。
ある日、SNSを通じて一人の女性から連絡があった。
「記事を読んで、うちのオンライン介護者コミュニティに紹介したいんですけど、いいですか?」
もちろんです、と即答した智也は、その後オンラインイベントにも招かれ、自身の体験談を語ることになる。
Zoomの画面越しに並ぶ数十人の顔。みなそれぞれの事情を抱えた介護者たちだった。智也は自分の体験、失業、親の介護、そしてアフィリエイトを始めた経緯を丁寧に語った。
イベントの終盤、司会者が問いかけた。
「三浦さんにとって、今の“仕事”とは何ですか?」
少しの沈黙のあと、智也は静かに答えた。
「誰かの孤独に、寄り添うことかもしれません」
パチパチと鳴る拍手の音。画面の向こうから、確かな温もりが伝わってきた。
それからというもの、智也のブログには、介護や中年の再出発をテーマにした記事が増えていった。広告の収益も右肩上がりに伸び、月収は十万円を超えた。
だが、金額の多寡よりも、やはり読者との関係性の方が、智也には大きな意味を持っていた。
ある日、自分が書いた記事が、介護系のメディアに引用された。記事の最後には「三浦智也さんのブログより引用」と書かれていた。
──“三浦智也”という名前が、また世の中とつながり始めている。
ふと、昔の名刺を思い出す。「シニアクリエイティブディレクター」という肩書に、誇りもあった。しかしいま、肩書がなくても、言葉で誰かとつながっていける自分に、少しだけ自信が持てるようになった。
その夜、父の施設から連絡があり、久々にビデオ通話をつないだ。
「どうだ、仕事は順調か?」 「うん。少しずつだけど、誰かの役に立ててる気がするよ」
画面越しの父が、うれしそうに笑った。
眠りにつく前、智也はつぶやいた。
「数字の向こうには、人がいる」
そう信じられるようになったことが、今の彼にとって、何よりの報酬だった。
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