会社倒産からの船出 第5章:光と影の交差点

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 父の病状が急変したのは、初めて月五万円を超える収益を得た翌週のことだった。

 「三浦さん、今お父様のことでお時間いただけますか?」

 訪問看護師からの一本の電話が、智也の朝を打ち砕いた。

 「先ほど様子を見に行ったところ、意識が少し混濁していて。もしかしたら、脳血管の問題かもしれません。今すぐ病院へ搬送するよう手配しています」

 言葉を失った。動かない思考を無理やり前に進め、財布と保険証と父の薬の一覧をバッグに突っ込み、病院へと急いだ。

 病院の白い廊下。処置室の奥から、看護師たちの緊迫した声が漏れていた。待合室で立ったまま祈るように時間が過ぎる。五十分ほどして、担当医が現れた。

 「脳梗塞の初期症状が見られます。命に別状はありませんが、言語や運動機能に後遺症が残る可能性があります」

 それは、智也にとって「親の老い」という現実を、残酷なほど明確に突きつける言葉だった。

 入院手続きと病室の準備、保証人欄への署名、そして初期費用。

 「入院保証金として、まず十万円をお願いできますか?」

 支払ったのは、ようやく貯まり始めていたアフィリエイト収益の大半だった。通帳の残高が、現実を容赦なく突きつける。

 その日、帰宅後のパソコンを前に、智也は深く息を吐いた。

 「……やっぱり甘くないな」

 どれだけ努力しても、現実は待ってくれない。時間と金が容赦なく流れ去っていく。

 しかし不思議なことに、絶望感ではなく「静かな覚悟」が生まれていた。もう、迷っている時間はない。やるしかない。

 彼はスプレッドシートを開き、記事のジャンルごとに収益性とクリック率を整理し始めた。深夜まで、無言のまま数字とにらめっこを続けた。

 翌週、病院を訪れると、父の言葉は明らかに滑らかさを失っていた。

 「……ぉお……まえ、か……?」

 言語中枢がダメージを受けたのだ。だが智也は微笑んで答えた。

 「そうだよ。毎日来るから、安心して」

 父の手は震えていた。だが智也がその手を握ると、微かに力が返ってきた。

 その帰り道、病院のロビーでスマホを取り出すと、新着メールが一件届いていた。

 「アフィリエイト成果報酬のお知らせ:8,420円」

 その数字を見た瞬間、不意に涙が滲んだ。

 額面の問題じゃない。

 「この小さな数字が、父のために使えることが嬉しいんだ……」

 日中は病院と自宅を往復し、深夜に記事を書く生活が続いた。だが、智也の中で確実に「何か」が育ち始めていた。

 ある夜、智也はふと、自分の中に芽生えたある問いに気づいた。

 「自分が今やってることって、誰かの役に立ってるんだろうか?」

 その答えを確かめたくなり、記事末に小さなメッセージを添えた。

 《この記事が少しでも役に立ったと感じたら、コメントやメッセージをいただけたら嬉しいです》

 数日後、1件のメールが届いた。

 「同じように、親の介護をしながら在宅で働こうとしている者です。情報が本当にありがたかったです。ありがとうございます」

 その一文が、智也の胸に静かに火を灯した。

 役に立つこと。

 それは、広告業界にいた頃に失いかけていた「仕事の原点」だった。

 売上や数字ではなく、「誰かの困りごとを解決すること」。

 「……そうか。これが、俺の仕事なんだ」

 翌日から、智也の執筆スタイルは明らかに変わった。情報の正確性だけでなく、「届ける言葉」としての質を意識し始めたのだ。

 アクセス解析にも、少しずつ変化が現れた。滞在時間が伸び、直帰率が下がり、SNSでのシェアも増えていった。

 そして、ある晩。

 父の病室で寝息を聞きながら、スマホでメールを確認すると、新たな通知が届いていた。

 《月間成果報酬:51,300円》

 とうとう、月五万円を突破したのだ。

 ただの数字じゃなかった。それは、「この道でも生きていける」という証明だった。

 喜びと不安がないまぜになった複雑な感情が胸に広がった。だが、そのすべてを飲み込むように、智也はそっと目を閉じた。

 「親孝行のタイムリミット……か」

 過ぎゆく時間に逆らうことはできない。

 だが、自分の手で守れるものがある。

 それに気づいたとき、智也は初めて、もう一度「生きていこう」と思えたのだった。

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