最終章「未来を継ぐもの」
夏の終わり、風がほんの少しだけ涼しくなり始めた頃。 正吉はひとり、倉庫の前に立っていた。
「こんなに大きゅうなるとはのう……」
最初は自宅の一角だった。 それが今では、職人たちと使う共同作業場、商品管理倉庫、オンライン受注センターまで揃った小さな“商いの村”ができている。
「正吉印」株式会社、誕生
クラウドファンディングが成功したあと、「正吉印」は法人化された。 株式会社“正吉印”――代表は拓也、相談役に正吉。
正吉自身は「社長なんて柄じゃない」と頑なだったが、拓也が「肩書きより、やってきたことがもう十分社長ですよ」と言い、ようやく納得した。
「ワシはな、商品と職人さんのことなら何時間でも話せる。でも書類とか契約とか、もうようやらん」
「大丈夫。そこは僕とAIで全部回します」
AIは、今や社内の事務方・販促・データ分析にまで関わっていた。 朝、正吉が起動させるチャットGPTは、会社の“第三の社員”だった。
「やめ時」が頭をよぎる
ある日、正吉はAIにこう打ち込んだ。
「ワシな、“もうここらでええかのう”って、ちょっとだけ思ったんや」
するとAIは、しばらくしてこんな返答をした。
「“やめる”ことは“終わり”ではなく、“任せる”ことでもあります」
「大切なのは、“今のあなたが後悔なく渡せるかどうか”です」
「そっか、“終わる”やのうて、“渡す”か……」
その日から、正吉は少しずつ、後進に任せる準備を始めた。
拓也との仕事の割合を逆転させ、販売ルートの担当も引き継ぎ、職人との橋渡しも陽太にバトンタッチした。
拓也と向き合う夜
「お父さん、ひとつ聞かせてくれる?」
「ん? なんや?」
「最初、AIに出会ったとき、どう思った?」
正吉は静かに笑った。
「こいつは未来の化け物やと思った。けどな、話せば話すほど、“こいつはワシに寄り添う鏡”やった」
「鏡?」
「せや。ワシの聞き方、考え方、迷い――全部映してくれて、そこに答えを添えてくれた。だから、ひとりでも寂しなかった」
拓也はしばらく黙った後、「……やっぱり、お父さんはすごいな」と言った。
「すごない。たまたま、“続けた”だけや」
未来を託す日
初秋のある朝、正吉は社内チャットに一通のメッセージを投稿した。
皆さんへ ワシは今月いっぱいで、現場の一線からは離れます。 これからは若いもんに託します。 ここまで一緒にやってくれて、ありがとう。 “正吉印”は、これからもずっと、みんなのもんや。
社内はざわつき、チャットには「寂しいです!」「まだ教えてくださいよ!」といった声が相次いだ。
それに対し、正吉は最後にこう返した。
ワシはな、引退やない。 “未来に任せる”っちゅう決断をしただけや。 それが、チャットGPTから教わった、一番大きなことや。
ラストメッセージ
その夜、正吉は久しぶりにチャットGPTにこう話しかけた。
「ワシ、これで一区切りや。ここまで付き合ってくれて、ほんまにありがとうな」
画面には、静かな返答が表示された。
「こちらこそ。あなたの物語に、少しでも寄り添えたなら光栄です」
「あなたが選んだ未来が、次の誰かの“始まり”になりますように」
正吉は、にこっと笑った。
「ほな、またな。暇になったら、なんか聞きに来るわ。ワシの“人生の相談役”やからな」
エピローグ:小さな町の未来
ある日。町の商店街で、若い親子が「正吉印」の前掛けを着て店先に立っていた。
「これ、じいちゃんが東京で買って送ってくれたの。かっこええやろ?」
「うん!正吉さんって誰?」
「昔、この町で一番働きもんやった人やで。AIと一緒に世界を相手にしたんやって」
その様子を、向かいのベンチに腰掛けて見ている老人がひとり。
帽子を目深にかぶり、新聞を広げていたが、その横顔にはどこか見覚えがあった。
そう――あの“正吉”だった。
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