60歳からの投資物語 第7章 実りのとき

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「まさか、株でお前に相談する日が来るとはなあ……」

そう言って笑ったのは、高校の同級生・野田だった。退職後、地域のグラウンドゴルフで再会して以来、何かと顔を合わせるようになった間柄だ。

「いやいや、オレもまだ素人だぞ。今でこそプラスにはなってきたけど、去年の暴落じゃ胃がキリキリしたんだから」

そう言いながらも、章一の表情は穏やかだった。

——あの嵐を越えたあと、自分の中で何かが変わった。

それまでは、チャートに一喜一憂し、ちょっとしたニュースに心を振り回されていた。だが、あの暴落を耐え抜いてからというもの、自分なりの投資スタイルが固まり、精神的な軸が定まった。

(「急がない」「慌てない」「売らない」——今はそれでいい)

そんな気持ちが自然に根付いていた。

六月。梅雨の合間の晴れた朝。

郵便受けには、いくつかの封筒が届いていた。

「株主優待在中」と印字された封筒の中身は、米や缶詰の詰め合わせ、温泉旅館の割引券に、商品券。章一の“投資の実り”が、こうして少しずつ形になっていく。

キッチンに封筒を持っていくと、澄子が笑った。

「また、届いたの? 今月は何?」

「うーん、今度はレトルトカレーの詰め合わせと、外食チェーンの食事券だ」

「じゃあ、今度の土曜は外でランチね。たまには楽しまないと」

章一はうなずきながら、ふと思った。

(こんなふうに、暮らしの中に“株”が溶け込んでいるなんて、昔のオレには想像できなかったな)

ある日、投資SNSで出会った人からこんなメッセージが届いた。

「定年後に株を始めた方で、地に足ついた投資をしている人を初めて見ました。
よろしければ、初心者向けのオンライン勉強会で、お話ししてもらえませんか?」

最初は驚いた。

人前で話すなど、会社員時代もあまり得意ではなかった。
だが、何かが胸に引っかかった。

(オレの経験でも、誰かの役に立つのか?)

そう考えると、断る理由が消えていった。

そして迎えたオンライン勉強会当日。

参加者は、50代後半から70代の人たち。
カメラ越しの画面には、かつての自分のような表情が並んでいた。

章一は、用意したノートを見ながら語った。

「自分は、定年後に投資を始めました。最初は勝手がわからず、何度も失敗しました。
 でも、“自分が理解できるものにしか投資しない”と決めてから、少しずつ状況が変わりました。
 いまでは、優待や配当のおかげで、毎月の生活に彩りが生まれています——」

画面の向こうで、何人かがうなずく。

章一は、しみじみと語った。

「“投資はギャンブルじゃない”って言葉、よく聞きますけど……本当にその通りです。
 ギャンブルにしないためには、時間と知識と、なにより“信じる力”が必要です」

数日後、そのときの参加者からメールが届いた。

「あの日のお話、とても心に残りました。焦らず、自分のペースでやっていこうと思います」
「配当生活なんて夢のまた夢と思っていましたが、少しずつでも実現できると知って勇気が出ました」

章一は、何かが報われたような気がした。

自分の小さな実践が、誰かの未来に小さな光を灯す——そんな感覚。

八月。

澄子とともに、優待でもらった宿泊割引を使って、箱根の温泉旅館へと出かけた。

「いやあ、こんな旅も、株のおかげか」

「働いてきたあなたへの、ご褒美みたいなもんよ」

露天風呂に浸かりながら、章一は空を見上げた。
昔は「老後なんて退屈だろう」と思っていた。
だが、今は違う。

知る楽しさ。考える喜び。試す勇気。
そして、誰かと分かち合うぬくもり。

「なんだかんだ言って、今がいちばん“豊か”かもな」

「そう? じゃあ、来年は海外優待も狙ってみる?」

「おっ、それは高望みだな。でも……悪くないかもな」

帰り道、土産物屋で見つけた一冊のノートに「実りの記録帳」と書かれていた。

章一はそれを手に取り、澄子に向かって言った。

「オレの“投資の実り”、これに書き留めてみようかな。
 数字だけじゃなくてさ、どんな気持ちだったとか、何を学んだかとか……」

澄子は、微笑んで言った。

「きっと、立派な“人生の記録”になるわよ」

 

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